2017年




ーーー10/3−−− 今年のタープテント


 
毎年夏の時期を迎えると、庭に面した居室の出入り口にタープテントを張る。そうすると、ガラス戸の先の日照りが陰になり、部屋が涼しくなるからだ。また雨が降った時にも、出入り口の辺りで濡れることがないので、なにかと具合が良い。

 ひと夏張りっぱなしにするので、秋口になるとボロボロになり、ちょっと強い風が吹くと、裂けて破れて廃棄処分になるということを繰り返してきた。その程度の廉価品を使っていたと言う事でもあるが。

 今シーズンは変化があった。昨年まで購入してきた品物が、急に値段が上がった。使い捨ての品質なのに値段が高くては買う気がしない。そこで値段は高めだが、グレードの高いものを買うことにした。一流メーカー品で、生地の厚さが従来の二倍あるもの。ただし、サイズが大きかった。巾4メートルに長さ7メートル。巾は良いが、長さが必要なサイズの二倍だった。それでも深刻には考えず、二つ折りにして使えば良いなどと言って、購入に踏み切った。

 届いた品物を見ると、思っていた以上に大きさが際立った。二つ折りにして使うなどというアイデアは、現実的でないと判断された。しばし、過剰な物を買ってしまったという後悔に見舞われた。が、気を取り直して考え、巻き取り式にすることを思い付いた。短辺側に丸棒を沿えて巻き取り、半分にして使えば3.5メートルで丁度良い。仮に今シーズン中に張っている部分が破れたら、来年は残りの半分を使えば良い。

 最初の問題は、長さ4メートルの丸棒に何を使うかであった。足場用の鉄製パイプでは、重すぎる。竹竿では、太さが均一でないし、強度的に適した太さの竹竿など簡単には手に入らない。また、巻き取りの仕掛けを両端に設けなければならないが、その取り合いも、竹竿では不安が残る。

 結局、塩ビパイプを使うことにした。それにも、問題があった。まず、ホームセンターで売っている品物は、4メートルの長さが無い。二本繋ぎ合わせるしかない。また、塩ビパイプは、強度には信頼が置けるが、剛性は低いので、長尺物だとしなる。それを支えるのに、どうしたら良いか。

 繋ぎ合わせは、木の丸棒を突っ込んで固定することにした。ロクロ師のKさんに依頼して、パイプの内側にピッタリと納まる丸棒を作って貰った。同時に、両端の巻き取りクランクを取り付ける軸も、パイプに合わせてお願いした。塩ビパイプと言うのは、工業製品でありながら結構誤差がある。一品ずつ合わせて加工しなければならないというのが、意外だった。

 しなりを支える装置としては、パイプをわし掴みにするような形状の部品を木で作った。実際には、パイプに巻かれたテントの生地の上から掴むことになる。長期間の使用で生地を傷めないよう、接触部分にはフェルトを張るなどの工夫をした。

 長さ4メートルのパイプを、両端と中央の3ヶ所で吊る。建物の壁に滑車を取り付け、細いロープでパイプを吊り、末端はクリートで止める。クリートとは、ヨットなどで使うロープ固定用の部品である。ロープを任意のところで手早く固定できるメリットがある。本来は金属製だが、我が家では自作の木製である。

 初めての試みなので、上手く行くかどうか、いささかの不安はあった。しかし、実際に設置したら、問題は無かった。そしてひと夏を通して使っても、トラブルは発生しなかった。もっとも、従来と比べて、運用に気を使ったことも良い結果に繋がったと思われる。雨水が溜まることを避けるために、雨が降りそうになったら、3本の支柱のうち両側の2本を倒す。夜中に雨があるといけないので、夕方になるとやはり支柱を倒す。風が出そうになったら、張り綱を外してテントを巻き、パイプにくくりつける。そのような作業をまめに行った。そういう気遣いをするようになったのも、この設備を作るのに掛かった費用と手間を無駄にしたくないという心理があったからであろう。

 秋になり、肌寒い日が訪れるようになったので、今シーズンのタープテントの使用を終了した。テントをパイプに巻き取り、ロープを引いて軒下の一番高い所に固定した。そのままビニールをかけ、来夏まで保管する。この保管方法も、便利で具合が良い。











ーーー10/10−−− バンフ・スプリングス・ホテルの思い出


 
テレビの旅番組で旅館やホテルが取り上げられる。高級ホテルなるものが登場するたびに思い出すのは、バンフ・スプリングス・ホテルである。

 今から37年前、新婚旅行でカナダに行った際に一泊したホテルである。当時は会社員で、しかも独身貴族直後だったので、お金には不自由しなかった。今ではとうてい行けないような、贅沢な旅行をしたのである。

 バンフ・スプリングス・ホテルは、世界有数のリゾートホテルとして知られている。その当時は、世界で5本の指に入るという評判だった。歴史的建造物を使ったホテルとしては、世界屈指だったと思う。そこに滞在できるというので、期待は大きかった。

 ホテルに着き、バスから降りると、古城の館が目の前にあった。壮大な建物である。全て石造りで、古色蒼然たるたたずまいであった。

 チェックインして鍵を受け取り、部屋に向かった。古びた木製のドアに鍵を差し込んで回しても、開錠しない。そんな馬鹿なと思って、何度も試したが、鍵はロックされたまま。これでは部屋に入れない。フロントに戻って、事情を話した。するとフロントの女性は慌てる様子もない。部屋を代えてくれるのかと思いきや、「あの部屋の鍵は少し具合が悪いのです。こうやれば開きますよ」と言って、鍵を開けるコツを教えてくれた。

 部屋のドアの前に戻り、言われたとおりにしたら、鍵は開いた。部屋に入ると、予想外に狭かった。天井の一部が斜めになっていて、屋根裏部屋のような感じだった。ツアー旅行だったので、安い部屋をあてがわれたのかと思った。鍵の件から察しても、上等な部屋でないことは明らかだ。正直言って期待外れだった。

 そのことを、ツアーのコンダクターに話したら、「そんなこともないですよ」と言われた。どの部屋も意外に質素で、設備も良くないと言うのである。この手のリゾートホテルは、概して部屋は粗末で、ただ寝るだけという感じのものが多い。その代わり、パブリックスペースは豪華で充実している。部屋に閉じこもってくつろぐというのではなく、パブリックスペースでゆっくり過ごし、他の旅行客などと交流を持つのが、こちらのスタイルだと説明してくれた。

 なんだか客の不満をかわす言い訳のような説明とも受け取れた。しかし、その後館内を巡ってみたら、それもおおむね真実だと思えてきた。

 極端に巾が広く、天井も高い、長い廊下があった。機能としては廊下だが、細長い部屋という感じで、教会の礼拝堂を連想させた。建物の内部も石造りである。石積みの壁に、外に面して大きなアーチ型の窓が並んでいた。その窓から、カナディアン・ロッキーの山々が、パノラマのようにして見えた。床の上には、中世風の机や椅子が点々と配置されていた。窓際には、書き物机のようなものが窓に向かって並んでいた。その内のいくつかに、欧米人の旅行客が座って、書物を読んだり、手紙を書いたりしていた。実に静かな落ち着いた雰囲気。ゆったりと時間が流れていくような光景だった。なるほど、これが彼らのリゾートの過ごし方なのかと、にわか作りの理解に達した。

 さらに館内を歩き回った。廊下の突き当たりのドアを開けると、塔の内部だった。薄暗い空間の中、螺旋階段が上に続いていた。立ち入り禁止ではなかったが、歩み入ることは躊躇した。まるで昔映画で見たハムレットの舞台のようで、恐ろしい感じがしたのである。

 



ーーー10/17−−− 女子大生クラブ


 
女学生は、会員制の女子大生クラブでバイトをすることになった。サークルの先輩が卒業するので、その後釜として紹介されたのである。その店は、会員制のバー、スナックのようなものである。ただし、いわゆる風俗店ではない。接待する女学生ホステスは客の話を聞くだけ。客は企業の管理職クラスで、会費を払ってメンバーとなっている。店内における会員の品行は厳しく制限され、それに違反すると除名される。また、店外での接触も禁止されており、電話やメールのアドレスを聞くこともご法度ということであった。

 そんなことが商売になるのかと思うが、けっこう繁盛しているらしい。管理職も上の方になると、仕事の話をしたくても相手がいない。部下は酒席でそういう話を聞かされるのを嫌うし、職場の人には話せない内容もある。家族に話しても、仕事の話題に関心があるはずもなく、聞いてくれない。日々の仕事の苦労や楽しみ、喜びや悲しみを話したくても、聞いてくれる人がいないのである。役職が上になるほど、孤独感はつのる。そんなビジネスマンが、この店にやってくる。そして、女子大生を相手に、話すのである。

 いろいろな業種の客が来て、話を聞かされるのだから、ホステスにはそれなりの素養が求められる。よく分からないジャンルの話を、上手く調子を合わせて聞くには、ある程度の知性が必要なのである。それで、その地方で一番レベルが高い大学の女学生しか採用しない。さらに、ゴルフや舞踊、華道など、一芸を身につけさせるための費用をオーナーが出資するというのだから、念が入っている。

 考えてみれば、そういう場のニーズは確かにあるのだろう。話を聞いて欲しいというのは、一つの欲求である。それを叶えることができれば楽しいし、ストレス解消にもなる。別の種類の欲望なら、風俗店へ行けばよい。巷の風俗店では満たされない欲求を、客はこの女子大生クラブで解消するのである。客にとってこの店は、他には替えられない大切な場所となっている。だから、悪さをして会員権を失うような人はいないとのことだった。

 その女学生は卒業して大手の企業に就職した。さっそく社内で飲み会があり、本部長や部長なども出席した。同期の男性社員が固くなっているのを尻目に、彼女は上役の席に行ってビールを注ぎ、会話をしたそうである。ずいぶん度胸があるねと言われたとき、「だって、あの方たち、相手がいなくて寂しそうだったんだもの」と返したとか。バイトの経験が、さっそく生かされたようである。




ーーー10/24−−− 緊張の納品



 東京新宿のT宅は、新宿御苑を見下ろす高層マンションの9階にある。T様には、14年前に椅子を2脚お買い求め頂いた。その後ずうっとご無沙汰だったが、昨年の春に突然お電話を頂き、マンションを買ったので、ダイニングテーブルが欲しいと言われた。そのテーブルを皮切りに、ダイニングチェア、書斎椅子、スツール、ソファーなど、次々と注文を頂いた。奥様は、このダイニングルームは大竹さんの家具で統一するのだとおっしゃられた。

 この5月も、奥様が使う作業机兼折りたたみベッドという品物をお納めした。その納品の際に、ダイニングルームの仕上げとなる食器棚のお話を頂いた。それまでは漠然とした話で、部屋のコーナーに置く縦長の食器棚というようなことだった。ところが、その日新たに提示された計画は、部屋の奥の壁一面に納まる大きな食器棚だった。そこには畳一枚ぐらいの大きさのテレビが鎮座している。そのテレビをまたぐ門のような形の食器棚はできないかと言われた。そうすれば壁面が有効に使えるというアイデアである。私は技術的には可能だと思うと答えた。

 さっそく現場の寸法を測定した。その壁は、間口が3.6メートルほどだが、左端の50センチほどを残して全体が奥に凹んでいる。その奥行きは60センチ強。また、高さ方向も天井から一段下がって2メートルほどになっている。コンクリートで囲まれたその凹んだ壁面に、家具を納めなければならない。しかも、既に置いてある巨大テレビをかわす形で。

 建物の寸法を測定するには、慎重を要する。例えば、間口を測るにしても、高さによって微妙に寸法が違うからである。しかも、一人で測れる大きさではないから、お客様に手伝って貰わなければならない。意思の疎通を欠けば、正確な寸法は測れない。それから、部分的な出っ張り、床から立ち上がる部分の巾木の厚みなども考慮しなければならない。また、壁面に設置されたコンセントの位置も、厳密に測らなければならない。

 次にテレビの寸法を測った。モダンなデザインの装置なので、寸法が測り難い。しかしこれも、間違いは許されない。最後に、食器棚の下部に収納するスピーカーボックスなどの機器類の寸法を測った。スケッチを描き、測定した壁面と機器類の寸法を記入した。いずれの寸法も、測り間違えれば将来大事件になることは必至。何度も繰り返し測って確認した。

 自宅に戻り、図面を描いて設計をした。壁に対する食器棚の寸法差は、間口で37ミリ、高さで45ミリとした。またテレビとの差は、間口、高さ共に30ミリとした。今考えると、何故このようにギリギリの数値にしたのか不思議なくらいである。もっと余裕を見ればよいだろうに、これでは自らの首を絞めるようなものだ。

 さて、お客様から図面の承認を頂き、製作に入った。我が工房で、過去最大のサイズの家具である。想定したよりはるかに製作日数がかかり、納品の運びとなったのは10月に入ってからだった。納品が近付くと、緊張感が高まった。万が一寸法を間違えて製作していたら、納品は失敗に終わる。軽トラで運んだ製品を、マンションの9階まで上げ、お部屋に運び入れ、組み立てる。それで入らないと分かれば、またバラして、降ろして、持ち帰らなければならない。持ち帰ったところで、寸法を変えることなど簡単に出来ることではない。そういうトラブルが頭をよぎるたびに、プレッシャーに苛まれた。

 そもそも、これだけの大きさで、しかも特殊な形をしたキャビネットを、現場でちゃんと組み立てることが出来るのだろうか? また、組み上がったものを、室内で移動して壁面に納めることが出来るのだろうか? そういう心配も当初はあった。しかしそれは、工房内でちゃんと計画をし、必要に応じて仮組みや作業の動作を実際に行って、間違いなく出来るとの感触を掴んだ。しかしこういうことは、現場ではとかく予期せぬ事態が発生するものであるから、100パーセント安心というわけでは無かった。

 さて、いよいよ納品の日。早朝穂高を出発し、午前11時にマンションに入った。東京在住の息子に手伝いを頼んで、搬入と組み立てを行った。全ての作業が、予定通りに粛々と進んだかに見えたが、オーディオの配線の穴を忘れていて現場で開けたり、丁番取り付けの木ネジの本数が足りなくて、息子に買いに行かせたりと、若干のトラブルはあった。それでも、組み立ては完了し、コロを使ってしずしずと壁面に向けて移動した。作業をしながら、「これ、本当に入るのかしら」などという声が何度も聞こえたが、最終的には、ピッタリと納まった。中に収納するスピーカーボックスもきちんと納まった。スピーカーボックスは3ヶあったが、その内の一つは、本当にギリギリで入った。それ一つでも、入らなければ問題となっただろう。また、壁面のコンセントも、開口部と一致して良かった。全てが上手く納まったと分かった時のホッとした安堵感は、何にも例えようが無いくらい大きかった。

 作業が終わったとき、奥様はこう言われた「たった一回寸法を測っただけで、よくピッタリ入ったものね。大竹さんは遠いから仕方ないけど、近くだったら何度も来て寸法を確認するのが普通じゃないかしら」








ーーー10/31−−− アイスランドの話


 テレビ番組の旅もので、アイスランドを取り上げていた。アイスランドは火山の国である。いくつかの町は、火山の災害に見舞われたことがあるという。そのうちの一つの町にカメラが入った。

 その町は、何年か前に、降ってきた火山灰に覆われたと言う。町の所々に、その出来事を記念する杭が立っていた。杭の高さは、長いところでは2.6メートルもあった。その高さまで灰が積もったのである。当時の写真が残っている。一面黒い灰の平原に、点々と家の屋根だけが出ていた。それはギョッとするような光景であった。

 日本の豪雪地帯では、屋根の高さまで雪に覆われることが珍しくない。それでも、これほど完全に埋め尽くされるということは無いだろう。そして雪なら、春になれば自然に融けて無くなる。しかし火山灰は、人の手で取り除かなければならない。その後、灰は全て除去されて、町は以前の姿に戻った。一部を除いて、ほとんどの家は昔通りの生活をしている。旅のレポーターの日本人の男性俳優が、写真と現場を見比べながら、「これだけの灰を取り除くのは、たいへんな作業だったでしょう?」と聞いた。

 それに対して現地を案内した初老の男性は「ティースプーンですくって灰をどけたよ」と言った。そして一同は笑ったが、それは実際のことであったと私は想像した。道路や、敷地内に積もった灰は、ブルドーザやパワーショベルで片付けたに違いない。しかし、家屋の周りの細かいところ、テラスや入り口や窓などは、それこそスプーンですくうようにして取り除かなければならなかっただろう。いずれにしろ、膨大な作業である。町を捨てて移住するという話も出たかもしれない。しかし彼らは復興をやり遂げた。

 いわば厳しい自然の仕打ちである。それについて聞かれた男性は、こう答えた、「それでも我々は自然を愛しているし、信頼もしている」。厳しい仕打ちもされるが、多くの恵みを与えてくれるのも自然だと言うのである。そもそも、人が住んでいる環境そのものが自然を器としている。自然に寄り添い、感謝をし、喜びも哀しみも自然の手に委ねるという世界観が、その言葉の奥に感じられた。

 番組のエンディングで、レポーターはこう述べた、「旅を通じて感じたのは、この国の人々の生活は、とても地味で素朴で、奇をてらったところが少しも無い。それでいて、落ち着いて、安らぎがあって、楽しそうに、幸せに暮らしている」





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